『OCTOPUS STORY』の制作プロセスについて ①
2年前、デンマークでの舞台作品制作は大きな影響を僕に与えた。
クリエイションの初日、デンマーク、イスラエル、アメリカ、イタリア、日本の人間がスタジオに集まっていた。そこで発起人の女性はこう言った。
「このクリエイションにおいて『作品の完成は目指していません』、『ここにいるメンバーを互いに理解し合うための時間です』」
僕は耳を疑ったのだった。ギャラ(日本では考えられないくらい)出てますけど、、、作品できなくていいの??うそやん、「仲良くなる時間」のために(国からも財団からも)お金がでるんですか。。。と、ひっくり返りそうになったのを今でも覚えている。
結果、出来上がった作品はデンマーク最大の舞台作品アワードにノミネートされ、人生初のレッドカーペットも経験できたのだったのだが、、、。
しかし、制作のプロセスは僕にとってとても大変なものだった。一切のヒエラルキーが無い状況、誰が何を発言しても発表しても良いが、答えを求めるような質問は決して受け付けてもらえない。 例えば各シーンのキーワード的なものを提示してほしい、と言っても、そんなのは受け付けてもらえない。先ず自分が提示して初めて対話が始まるのだ。日本でのクリエーションでこのような経験をしたことが無かった。というか、そもそも、作品の完成を目指していない。。。
それはそれはほんまに「自由」な時間だったのだ。当初混乱したのは無意識的に支配、被支配的な関係を求める自分の姿が浮き彫りにされたからだった。
今回の作品で僕は「演出」という役職では参加せず、「構成」としたのにはこういった背景がある。 支配、被支配的な状況を作りたくなかった。表面的な完成度を求めるのではなく、如何に上述のような「自由な時間」を生み出すか、如何に自分たちの経験や考えを共有し、それに対してアンサーし対話を続けていけるのか、そんなことに注力したかったし、対話から出てくるものが見たかったのだ。
そして、誰が作ったのか、もはや分からない作品にしたかった。それは責任の分散ということにはならない。支配的な状況で作られた「だれかの」作品なんかもう必要ないと僕は考えているからだ。