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Process-007

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「イメージ」は簡単に作ることが可能だ。「あなた」のイメージもそう。社会の風潮もそう。とても簡単に作ることができる。「僕」はいくらでも「僕」のイメージを作ることができるし、それを受け取る側の感情をコントロールすることも至って容易だ。僕があなたのプロモーションビデオを作るとしたら、SNSでの宣伝も含めて、あなたのなりたい自分になることを可能にするだろう。そのくらいに、人や物のイメージってのは簡単に作ることができるし、逆に壊す(殺す)こともできる。詳しくは書かないが僕はSNSで一度自殺したことがあるので実体験としても、そんなことを知っている。とまあ僕が携わっていた映像とか広告とはそういう仕事なのだ。スーパーや通販の広告も憧れのミュージシャンのミュージックビデオも、ノンフィクション・ドキュメンタリー映画も、すべて作られたイメージに過ぎない。それを僕たちは一喜一憂しながら、あたかも事実のように受取り、(自分自身の意思で動いていると勘違いさせられながら)「身体」や「精神」を「動かされて」いる。僕たちは「イメージ」の世界で生かされている。あなたが思う現実や、事実、意識でさえ誰かが作った虚構である可能性が非常に高い。僕はカメラを通して長い時間「世界」を見てしまった。というか見すぎてしまって、さらにそのカメラで覗いた世界を、後から好きなように組み換え、はめ込み、組み立てることを続けてきた。それに加え、出来上がったモノを大勢に「宣伝」しながら垂れ流してきた。そんなことを続けていると純粋に世界を見ることが出来なくなってしまう。「純真」な気持ちで虚構に生きることができなくなったのだ。そして同時に僕はそのような虚構を構築することの一端を担ってきたのだ。
再度言うけど、僕は「あなた」の感情がどうしたら動くのか理解している。そして僕はあなた専用の「画面」にその起爆装置(コントローラー)を流し込むことが可能なのだ。映像とは非常に危険で暴力的な装置であることをどれだけの人が理解しているのだろうか。恐らくメディアリテラシーがほとんど無い日本では理解している人は少ないだろうと思う。ちなみに、コントローラーを作ることができて、それを流し込んでる人を僕は見分けることができるから常にパトロールしているんだぜ。
僕は今回のクリエイションではカメラを使わなかった(詳細はプロセス②に書いてある)。というか30代に入ってから「仕事」以外にカメラを使っていない。つまりリハビリ中の身なのである。今回舞台上に縦5.4メートル、横7.2メートル(比率4:3)の巨大な「画面」を設置した。その画面は僕の「起爆装置」だ。
昔からずっと人をコントロールするものってのがあって、それは神話だったり、教会だったり、ラジオ・新聞だったり、そしてテレビだったり。僕の幼少時における「洗脳」原風景は4:3の比率から始まっている。僕が(知らない誰かに)与えられたイメージを、自分自身に投影する「鏡」のような「画面」(テレビサイズ(4:3))を象徴的に設置した。巨大な僕の御神体を祀ったのだ。もうすでに世の中の「鏡」は16:9の世界に完全移行した状況にあるが、それは「テレビ」の物語というよりかは「インターネット」の物語にあるように感じている。テレビを見なくなって久しいが、僕は僕の慣れ親しんだ「鏡」としっかりと決別できていなかった。今回あらためて巨大でパワフルな4:3を眺めて、やっぱかっこいいな、強いな、でも、「さよなら」と、言えたのではないかと思っている。ファルスとの別れなのかな。
投映される映像について、東京在住のカメラマンに東京の風景を16000枚のスナップで切り取ってもらった写真の連続から始まり、水の「形」を追ってみた映像や、象徴的な表現のための映像などで構成されている。強いメッセージ性を排除し、どのようにでも解釈することが可能な、アブストラクトな表現に努めた。もちろん、小説及び振り付けへのアンサーである。
序盤は具体的なイメージの羅列とも言えるが様々な解釈が可能なように仕組んでいる。衣装についてはダンサー二人の振り付けから僕が得たインスピレーションでスタイリストに発注した。女性ダンサーはエントロピー増大の象徴、男性ダンサーはエントロピー増大を抑えようとする存在ということを表現してもらった。


photo: Kim Sajik

『OCTOPUS STORY』の制作プロセスについて ⑦

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